2012年1月16日〜31日
1月16日  ライアン 〔犬・未出〕

 おれは錯覚している。
 抱いたことによって、ライバルを征服した気分になっているのだろう。

 それは邪道であり、おれの生存権をめぐる争いに真に勝利したことにはならない。

 だが、どうしたことだろう。
 目の前で海苔の袋がなかなか開けられずにいる彼が、敵とは思えなくなっている。

 闘志が燃え上がらない。ついその不器用な手から海苔の袋をとりあげ、裂いてやる。彼は白くきれいな歯並びをみせた。

「ありがとう」


1月17日 ライアン 〔犬・未出〕
 
 おかしなことだ。
 おれは何が起こってるのか確かめるように、また、タクの部屋を訪れた。

 タクは拒まない。少しはにかんだ笑みを見せ、おれを部屋に入れる。押し倒せば、抗わず従う。

(こいつ、おれに惚れてんのか)

 トロフィー狂であるおれは、女の子の愛というトロフィーもかき集めてきた。だから、相手がおれに夢中かどうかは、場の空気でわかる。

 だが、タクの場は淡々としている。やさしいが、何も求めてはいない。ただ木や草のように逆らわず、おれを受け入れている。


1月18日 ライアン 〔犬・未出〕

 おれは、毎夜タクと寝るようになった。当初のどす黒い探究心はない。

 要は肉欲に溺れたのだ。上の立場というのはオツなものだ。ここに来てから、掘られるばっかりだったが、こっちは昔ながらの楽しみが味わえる。

 おとなしいタクが、時折もらす抑えた悲鳴が、ゾクゾクするほど心地よい。

 おれは酔った。ヴィラで完膚なきまでにへし折られたオスのプライドが修復され、養分を吸い上げて生き返るようだ。

 タクはどう思っているのだろう。彼はやわらかくおれを迎え、好きにさせてくれる。


1月19日 ライアン 〔犬・未出〕

 タクは前より、おれに笑顔をひらくようになった。あいかわらず口数は少ないが、彼なりにうちとけているのがわかる。

 おれもまた、彼への敵愾心が宙ぶらりんなままに、落ち着いてしまった。

 おれは負けず嫌いだが、お人よしでもある。相手が腹をみせると、それ以上戦えなくなってしまう。

 コリンが帰ってきたら、またどういう気分になるかはわからない。ただ、今はタクとの間に平和協定を結ぶのにやぶさかでないといった感じだ。

 いっしょに住むのには悪くない相手だ。恋の相手ではないが。


1月20日 ライアン 〔犬・未出〕

 恋人にはやはり、打てば響くような楽しいやつがいい。

 おれの彼女はみんなポップコーンみたいに楽しい子ばかりだった。そして、さすが世界中の美男を集めたヴィラカプリ。男でもそういうキャラクターのやつはいるのである。

 チェスのクラスで会ったリーアムがそれだ。空軍パイロット。小柄なハンサムで、青い目が明るい。

 チェスで負かすと、悔しがりかたが可愛かった。

 人間の順応性とはおそろしいもんだ。おれはあっさりこの美男子に惚れこんだ。


1月21日 ライアン 〔犬・未出〕

 リーアムとチェスで戦うのは楽しい。
 彼とスカッシュしながら、わめきあうのも楽しい。

「ライアン、おれメガネっこ好きなんだよね。次、勝ったら備品室で一戦たのむよ」

「残念だが、マンディと先約がある。整理券とって並んでくれ」

「マンディはおれとの約束が先だ」

「だから、しょんぼりしてたのか」

「おまえ、ホント憎たらしいやつだな!」

 リーアムは誘うジョークをいいつつ、こっちが近寄ると笑って逃げる。小憎たらしいが、おれはこういう楽しいやつに目がない。


1月22日 ライアン 〔犬・未出〕

「もう、ムキになりすぎだろ。メガネっこのくせにエロいんだから」

「おまえが手をぬきすぎなんだよ」

 チェスでの負けを口実に、リーアムはついに屋上でおれに抱かれた。楽しかった。

 リーアムのアヌスはタクよりちょっと柔らかかったが、ふだん生意気な彼の嬌声に、おそろしく興奮した。

 場所がら懸命に両手で口を覆って声をこらえているのだが、咽喉の奥から本物の犬のような細い悲鳴がもれる。
 オフィスラブのような興奮と征服感に、おれはのぼせた。


1月23日 ライアン 〔犬・未出〕

 リーアムとつきあうようになると、自然、タクの部屋に通うことが減った。
 資源には限りがある。毎日ふたりを悦ばせるのはむずかしい。

 タクにうしろめたいということもなかった。彼は勝手に先に腹を見せた。負け犬だ。敵愾心はもたないが、リスペクトもない。義理だてして通うこともないのだ。

 タクもべつに気にしていないようだ。なんの変化もない。彼は彼で淡々と活動している。

 泣かれても困るが、拍子抜けではある。こいつは感情がついてないのかな?


1月24日 ライアン 〔犬・未出〕

 しかし、変われば変わるもの。
 おれはすっかり男同士のつきあいに夢中になった。

 リーアムは楽しいやつだ。だが、それは他のやつにとっても同じだ。

 中庭にいると、いろんなやつが彼を誘いにくる。連中がおれを品定めしているのがわかる。

 頭の悪いやつは、おれに帰れよがしのことを言う。嫉妬でいっぱいの男たちを尻目に、リーアムとふざけるのは高笑いしたくなるような愉快さだ。
 しかも副次効果もある。


1月25日 ライアン 〔犬・未出〕

 リーアムといると、なぜかほかの美青年たちまでおれに色目をつかうようになったのだ。

「リーアム、ひさしぶり」

 なんていいながら勝手に相席してくる。愛想のいいリーアムが相手をしている間、そいつはテーブルの下でおれの足をつついている。甚だしいのは内股に手をのばしてくる。

 リーアムがちょっと席をはずそうものなら大変だ。情熱のこもった目で見つめ、

「おれ今ホットなんだ」

「上にこいよ。天国みせてやるから」

「リーアムよりうまいぜ」

 うほほほ。みなさん、落ち着いて。


1月26日 ライアン 〔犬・未出〕

 モテるというのは悪くない。
 だが、歯ごたえがあるやつを征服していくほうが楽しい。リーアムはその点退屈しない。

「今日はダメ。トムたちとフットサルするから」

「断れよ。早くいかないと場所なくなる」

 おまえさ、とリーアムが睨む。

「最近、調子にのってねえか? おれは約束があるっていってんだよ」

 恋の奴隷にならないのは賢い。賢いが、腹立たしいことにはかわりない。

 去っていくリーアムに悪態をついていると「やーい、ふられんぼ」と声をかけられた。

 ハンサムな海の男、マンディだ。


1月27日 ライアン 〔犬・未出〕

 「かわいそうに。いっしょにスカッシュでもしないか?」

 マンディが明るく誘う。おれは肩をすくめて、誘いにのった。

 マンディというのはセクシーな男だ。貨物船だか客船だかの船員で、海の明るさが細胞にしみこんでいる。

 楽しいやつだが、身持ちはかたかった。誘いをかけるといつも逃げていたのに。

「なんで、リーアムなんてねんね、おっかけまわしてんだ」

 ボールを打ちながら言う。

「おっかけまわされてんだ。心配か?」

 どうでもいいと、マンディは笑った。

「ガッついてんな。ケガするぜ?」


1月28日 ライアン 〔犬・未出〕

 おれたちはカメラにうつらない備品室に忍びこんだ。

 マンディの体は筋肉質で、体重もおれより多い。そんなやつが四つんばいになり、おれに突かれて、哀れな声をあげている。

 強く絞られる感触に脳天を痺れさせつつ、おれは淫らな優越感に浸った。

 リーアムくん。意地を張り続けると、ろくなことにならんよ。

 まったく、男同士の世界は簡単だ。女とつきあう時の半分も時間がいらない。金もかからない。
 だが、破局も早かった。


1月29日 ライアン 〔犬・未出〕

 その日、見慣れないやつがチェスのクラスに来ていた。

 金髪の美形だが、どこかのエグゼクティブといった様子の冷たい顔をしている。手だれのチェコ人が苦戦していた。

「だれだ?」

 リーアムは肩をすくめた。

「フィル・クロネンバーグ。もとパテルの犬」

 チェコ人はついに降参してうめいた。

「きみなんかずっと風邪ひいてればよかったのに」

「たまには縄張りの見回りにこないと。また人が増えたみたいだね」

 彼はおれを見て微笑んだ。

「挨拶代わりに一戦、お相手ねがおう」


1月30日 ライアン 〔犬・未出〕

 長い試合をかいつまんで述べると、おれは彼に負けた。

「やっぱり人間相手はいいね。すごく面白かった」

 彼は礼儀正しく褒めたが、おれのなかは真っ赤に煮えたぎっていた。彼がいない間、おれはこのクラスで最強だったのだ。ゆえに、えらそうな顔もしていた。敗北は許されない。

「敗者復活戦を」

 もう一回やったが、同じだった。
 さらに手早くやられた。彼はおれのクセを読んでしまっていたのだ。

 おれは心中、悶絶した。そしてさらに屈辱的なことが待っていた。


1月31日 ライアン 〔犬・未出〕

 この試合を機にリーアムのおれへの温度が急激にさがりはじめたのだ。

「ごめんな。今日、ロンとテニスするから」

 なんやかやと理由をつけて、ふたりで会うのを避ける。おれはなじった。

「最近、冷たいんじゃないの? 別のやつに乗り換えたほうがいいのかな」

 リーアムはそうだね、と言った。

「そのほうがいいな」

 おれは見返した。だが、彼はじゃあね、と明るく言って去っていった。

 未練なし。彼のなかではもう恋が終わっていた。
 おれが、負けたからだ。


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